ニホンオオカミ我が国の闇絶滅す 中木 山人 |
提出句の「闇」とは一体どのように捉えるべきであろうか。現代において一般的な闇の概念は
災いを意味するものとされる場合が多い。科学においては周囲とくらべて光の量が少ない状態を指す。いずれも作者の意図ではなかろう。
おそらく
ファンタジーや民話などにおいて神秘の部分をつかさどる「闇」を指すのではないだろうか。
そのように解釈すると、古き良き時代、緑ゆたかなわが国のダークヒーローとしてのニホンオオカミの姿が浮かびあがってくる。
くちもとに風ふいている泉かな 丸本 泥亀 |
「泉」とは地中より湧き出て、地表に湛えられた清冽な水で、木の生い茂った山の
多い地方に多い。 その地に佇む作者はくちもとに風を感じた。さらりと描かれているからこそ「泉」の涼味が際立っている。 ふと立ち止まれば
ほっとさせてくれる「泉」そのもののような安らぎを提出句に感じる。
泉への道後れゆく安けさよ 石田 波郷
はいといいえのあわいねぶの花 林 宣子 |
ねぶの花は、夜になると羽状の葉をたたんで就眠運動をすることからこの名があり、「ねんねの木」という方言もある。
作者は納得、承知するか、あるいは拒絶、否定するか迷っている。
「ねぶの花」と表現することによって、その揺れ動く心境と相手への
思いやりが感じられる。視覚的にも、ひらがながほとんどで、ねぶの花の個性と相俟ってより一層やさしい印象をかもし出している。
片眼で見えしものあり麦の秋 松浦 力 |
「両眼を見開いて見ようとすればするほ、大切なことを見逃してしまいますよ。片目で見るぐらいがちょうどいいんじゃないですか」
というメッセージが俳句から聞こえてくる。
「片目で見る」ということは、よりよく生きるための処世術には違いないが、言うは易しで、そこに
相当なゆとりがないと成り立たない。どこか郷愁をさそう美しい季語「麦の秋」は、寛容な片目で垣間見る季節としてまことにふさわしい。、

姫著莪の糸より細き緑かな 前田 清子 |
姫著莪はアヤメ科の多年草。糸より細かろうとも緑は緑と、ささやかな
奇縁に思いを馳せる作者の感覚による一句。小暗い林下に浮きたつように咲く姫著莪は、清らかな印象のどこか寂しげな花である。
一昨日も昨日も蛍今日は雨 内山 思考 |
句意は明解であり難しいことは何も言っていない。蛍にふさわしい動詞は
「飛ぶ」「光る」など。雨にふさわしい動詞は「降る」「濡れる」など。だがこのように書かれると、とたんに降るような蛍のひかりに心が
潤ったり・・・はじけとぶ雨粒が光っているように感じられたり・・・
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