天上に蕨摘みおり生に狎れ 和田 悟朗 |
作者は自他共にみとめる山菜好きである。蕨もかなり茎の方まで食べるし、筍にいたっては鍋をかかえて貪り食う、と書いておられる。
歯が丈夫なのだ。天上、は空の上だから蕨を摘んでいるのは天人ということになる。
穢れなき美しい野原には音楽が鳴り響き、何の苦悩も持たず
住人達は摘み草をたのしむ。しかし「生に狎れ」で、現実に引き戻されてしまう。
天上界にも寿命はあり、それが長いばかりに、尽きる恐怖は計りしれないとという。
生命に狎れなれしく凭れかかってはいけないのだ。
万人が晩年であり猫柳 中島ふゆみ |
猫はしたたか犬は従順、の印象が強くて猫柳もちょっとクセのある季語としてとらえてしまう。万人が晩年とするならば、前期の晩年が
誕生から40歳まで、それ以上は後期晩年としたらどうだろう。
妙に大人びた醒めた子供や。諦め顔の小父ちゃん小母ちゃんに春は名のみの風。猫柳にすこし未来。
戻ることなき炎昼の蹄かな 高橋 修宏 |
灼けつつ前進する軍馬のようだ。どこへ行くのか、いつまで行くのか、主は一体誰なのか。何もわからないままに
映像は休まぬ蹄の動きだけを映す。
低音の二人の暮し山笑う 紙谷香須子 |
特別に声を荒げる必要のない、互いを理解しあった夫婦。低音、だと低血圧で病弱な暮しになるし、高音だとあまり
お訪ねしたくないような気もする。
この音は、声ばかりでなく起居の様子も含まれているのだ。おとぎ話の竹取物語の老夫婦も、
この句の中に住んでいるような気がする。

俳句:折原あきの
初蝶が来る出まかせのハミングに 工藤 克己 |
鼻唄は楽しいときばかり出るものではない。憂いや焦りに
心が揺れるときも、思わず知らず鼻ずさんでしまう。
それは不思議に日ごろの愛唱歌ではなかったりする。ここでは出まかせだから
いよいよ平静ではない。視野に蝶々が出現したので、ふと我にかえった。
てっせん花紆余曲折ののち咲けり 中島玄一郎 |
まっすぐに上方を目指せばよかりそうなものを、鉄線の蔓は複雑な道程を
楽しむようにもつれまくる。やがて自分の位置が定まったと見るや開花するのだが、紆余曲折のわりには、さっぱりとした紙細工のような
花である。
それに比べると、人は生まれてから花の状態だから、途中の蔓の部分は見えない。ああ、それはとても幸福なこと。
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