No.110
2008.09 秀作鑑賞



同人誌「ぽお」60号

櫻木 理子







おにぎりの含む空気に秋少し   川崎ふゆき

上手な人が握ったおにぎりは、固すぎずふんわりとしていてくずれない。
つまり空気を含んでいる。この空気が提出句の発見だろう。
下五の「秋少し」という措辞には、酷暑を乗りきった初秋の安心感が見てとれる。 平明なことばで表現された日常詠のさわやかな佳句。
















園児らのしんがりにある蝉しぐれ     鍬守 裕子

少子化の時代になって、大人がますます幅を利かせてきた。ちかごろ公演で遊ぶ子供の声が うるさいという苦情をよく聞く。近所から子供の声がするのは一年に一度あるかないかだ。

たまに園児たちが歩いているのを見かけても先生から 「しぃー」と言われている。あまりにも日本中が神経質になっている。そう思って読むと「しんがりにある蝉しぐれ」のなんと悲しいことだろう。季語が よく効いている。







音もなくまひるまが増え舟虫ふえ    大坪 重治

焼けつくような太陽であたりが真っ白に見える。ほんとうは波の音も蝉の声もしているのだろうが、それらのものを感じなくなるくらい 真昼の日ざしが強い。ぎらつく太陽は暴力的で、それを浴びるニンゲンも侵されてゆく。
太陽の不気味さが舟虫との二物衝撃で表現されている。







  
鉄棒に火薬の匂い聖五月    青木 栄子

マリアの月と言われる「聖五月」の季語の使い方は、仏教徒にはむずかしいと思う。提出句からは何度も鉄棒を回っている様が浮かぶ。 摩擦で熱くなり、手に鉄の匂いがうつる。

一所懸命鉄棒の練習をしたときのあの血のような、泣きたくなるような匂いが生々しく蘇る。鉄棒が そこにあるだけでは火薬の匂いにはならない。何度も鉄棒を回るのは、やはり子供だろう。聖五月に見守るやさしい眼差しを感じる。














俳句:柴田 典子



遊心の竹皮を脱ぐこころざし    木山 杏里

季語には長いものがあって「竹皮を脱ぐ」や、「鷹化して鳩と為る」などは 面白いので一度詠んでみたいと思うが、どうも思うに任せない。
この「竹皮を脱ぐ」という季語はことば自体に勢いがあってまるで遠山の金さんのようで 扱いにくい。それを作者は「遊心」「こころざし」という表現で格調高く詠みあげた。








 
告別やどの羅も前のめり    北迫 正男

告別といってもいろいろあるが、この告別はお葬いの告別式で、羅の喪服で 並んでいる人たちを思った。
羅は体の線がよく見える。故人との思いでの時間、悲しみで体がまえのめりになっている人々。「告別」にたいしての アグレッシブな「前のめり」という措辞で、悲しむ人の列が効果的に表現されている。






 
書:後谷 芳琴